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昭和31年時刻表(復刻版)で東京ー帯広への列車移動を調べる [鉄道]

NHK連続テレビ小説「なつぞら」の第14週「なつよ、十勝さ戻って来い」で、なつが柴田家の母と電話で発した一言が気になり、昭和31年(1956年)11月の時刻表(復刻版)を入手して、当時の東京から北海道(帯広)への列車移動を調べるてみました。(#^.^#)


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戦後の昭和32年前後と思われる当時、東京(東京駅または上野駅)から北海道の道南は帯広駅までの列車移動の所要時間は、当時の列車の運賃は、そして、時間短縮が期待できる飛行機も既に飛んでたと思うのですが、庶民感覚で乗れたのか?次々と沸き上がる疑問です。

NHK連続テレビ小説「なつぞら」の第14週「なつよ、十勝さ戻って来い」では、7月5日放送のなつがみんなの前で読み上げる妹(千遥)からの手紙に、涙腺がウルウルしちゃいました。(´;ω;`)ウゥゥ


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そんなシーンから少し遡って・・・


7月2日の「なつぞら」は、帯広の柴田家に、なつの妹(千遥)が訪れている事を、柴田家の母からの電話で知る、なつと兄・咲太郎ですが、そんな二人は妹に直ぐに行くから柴田家で待つように約束するのですが・・・


東京のおでん屋「風車」がある新宿から帯広の柴田家に「直ぐに行く」って・・・昭和の初めじゃ、列車の車中泊で1泊で帯広に行けるのか?いや2泊は必要じゃないのか?既に飛行機も飛んでると思いますが、まだ庶民感覚じゃ飛行機は選択肢にないよね?


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そして、7月3日の「なつぞら」で、なつと兄・咲太郎の移動方法のヒントが、ドラマの中で判明します。


東京のおでん屋「風車」を、なつと兄・咲太郎が、この日の夜行列車に乗ると出発します。さらに・・・


その夜の柴田家では、なつがいつ帯広に到着するかの話に「今夜の夜行に乗る、上野から青森まで半日以上、それから青函連絡船で5時間位で函館に、そして帯広だから明後日の朝方になるんじゃないか」、そんな情報から当時の列車での移動を調べます。


その前に、調べる昭和の年代ですが、「わんぱく牛若丸」が完成して1年、なつが短編漫画の原画を担当する事になるのですが、この年が昭和34年(1959年)です。


この当時の国鉄の時刻表が見れないのか、北海道立図書館の蔵書検索サービスで調べると、戦後の時刻表(復刻版)がありました。という事で、早速、年代が近い「時刻表復刻版 戦後編 昭和31年12月号」を閲覧しに、北海道立図書館へ行ってきました。


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時刻表のサイズは、私がよく利用している「JTB小さな時刻表」と同程度の大きさと厚さです。もう少し薄い時刻表をイメージしていたので、想像以上のページ数の厚さに驚きです。


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残念ながら時刻表復刻版は貸し出し不可なので、閲覧コーナーで閲覧のみ可能(申請すればコピー可)ですが、私は重要な忘れ物をして図書館へ訪れたと気が付きます。小さな時刻表の数字を見るのにハズキルーペを持参するのを忘れました。(-_-;)


昭和33年生まれの鉄道ファンの私としては、この昭和31年の時刻表は魅力的で、バイブル本として手元に置きたい一冊です。これは欲しいという事で、早速、ヤフオクで売られているのを発見して無事に手に入れます。ついでに冒頭の写真にある「国鉄時代2007年11月号急行列車」を中古本でネット購入。


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図書館で閲覧した時刻表は昭和31年12月号ですが、ヤフオクで買った時刻表(復刻版)は昭和31年11月号です。1か月違いですが、表紙のデザインも随分と雰囲気が異なってます。また、時刻表のページ構成も気のせいか微妙に異なる気がします。


こちらは断裁済の時刻表という事で、落とすとページがバラバラになり悲惨ですが、断裁してあるので必要なページをキレイにコピー(スキャナー)できるのは嬉しいね。(^_-)-☆


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この当時の夜行列車は、当然、東北本線を通るルートと思って時刻表を調べると、奥羽(おうう)本線経由(福島駅から東北地方の山間部を縦貫し、山形県・秋田県を経由して青森駅へ至る)や、常磐線経由の茨城県(土浦、水戸)、福島県(平)の太平洋側を経由して仙台駅に繋がるルートもあります。時刻表を見ていると当時の上野ー青森間の急行(夜行列車)が走る主ルートは常磐線経由のようです。


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なつと兄・咲太郎が乗った列車は、青森からの青函連絡船、道内の列車接続を考えて、上野駅(19:15)発の急行北斗(常磐線経由)に乗車したようです。北斗ってJR北海道の札幌と函館を結ぶ特急北斗の車両をイメージしますが、ここで登場するのは夜行列車の急行北斗です。(#^.^#)


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上野駅(19:15)-青森駅(09:00):急行北斗
青森駅(10:00)-函館駅(14:30):青函連絡船


北海道の函館に到着すると、急行まりもが、函館から道東の根室まで行く長距離列車があります。乗り鉄として北海道を縦断するような魅力的な長距離列車です。(^^♪


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函館駅(14:57)-根室行き(根室到着12:02):急行まりも。途中駅の到着時間:小樽(20:07-20:11)、札幌(20:47-21:02)、滝川(22:43-22:49)、帯広(04:30)


現在の特急列車が走る太平洋沿いの室蘭本線、千歳から石勝線経由の根室本線を通るルートと異なり、函館本線を北上して、長万部駅から小樽駅を経由する山間部を通り、札幌駅すら途中駅でそのまま北上して、滝川駅から根室本線で狩勝峠を超えるルートです。


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昭和31年当時の路線図を見ると、今では想像できない鉄道網が完備されています。今じゃスカスカの道内の路線ですから、どれだけの路線を廃線したのか寂しい限りです。


上野駅-帯広駅までの所要時間は、車中泊を含めて(2泊3日)、所要時間(33時間)です。


気になる運賃ですが、上野-札幌(1430円)、上野-釧路(1630円)、帯広まで(1706-1725km)程度として、鉄道対キロ普通旅客運賃表から(1560円)程度と思われます。


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他に急行列車と青函連絡船を使うので、急行料金上野-青森(400円)+青函連絡船(220円)+急行料金函館-帯広(400円)程度が必要ですね。


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ここで急行北斗と急行まりもの編成を確認しておくと、上野-仙台間の電化スタートが昭和37年(1962年)なので、当時の牽引機はC62(61)蒸気機関車。北海道の方も函館-旭川間の気動車特急の新設が昭和36年(1961年)なので、こちらも牽引機は蒸気機関車ですが、昭和31年頃はD51で、なつが乗った昭和34年は、C62蒸気機関車が活躍したはずです。


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「国鉄時代2007年11月号急行列車」で調べると、倶知安-小沢間のような山間部を走るC62は3重連だったそうで夢のような重連です。(^^♪


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そんなC62蒸気機関車が北海道に渡った歴史は、東海道本線など幹線で特急列車を牽く華やかな活躍をしたC62は、幹線の電化が進み昭和31年(1956年)順次北海道に渡り、小樽築港機関区に所属して新たな働き場所として活躍しました。そんな最初に渡った3号機が苗穂工場で保管され、苗穂工場の一般公開2015で撮影したのが上記の写真です。


今回の調査でNゲージ部屋の古い収集物(切符など)を気になり確認すると、昭和47年(1972年)の「C62引退記念入場券」がありました。確かに岩見沢駅構内にSL撮影に行った記憶あります。


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時刻表には、急行北斗と急行まりもの旅客列車編成が載ってました。


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急行まりもの編成を見ると、荷物車・郵便+荷物車・C2等寝台車・特別2等車・2等車・普通車+寝台車・普通車+食堂車・普通車×5・・・夜行列車でも寝台車は僅かに1-2両ほどで、車両のメインは普通車です。


特ロ(特別2等車)は、ロ(2等車)の上のクラスで、特徴はリクライニングシートを備えてたようです。


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時刻表には、当時の食堂車のメニューと値段が載ってます。


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食堂車の利用は限られた乗客だった思うのですが、停車駅で買う駅弁は人気だったのか、長万部駅の「かにめし」、森駅の「いかめし」などの値段も載ってます。


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今では見る事がないホームで売られる駅弁売りですが、私が最後に見たのは意外と最近で、恒例のローカル列車の2017夏の旅で、函館~長万部~小樽回りで江別に戻る途中で、森駅のホームで「いかめし」の立ち売りがあり買いました。もしかすると二度と見る機会は無いかも・・・


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ホームでの駅弁売り以外にホームの立ち食いそば、さらには、駅売店も激減の現在ですが、時刻表には、駅弁が売られている駅のマークに、さらに、ホームに立ち食いそばのある駅までも載ってます。


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時刻表の記号は老眼の私には簡単に判読できませんが、拡大して確認すると、弁当販売以外に、電報取扱、洗面所設置、赤帽所在の記号です。


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「懐かしの鉄道遺産」によると、洗面所はホームにあったようで、当時は蒸気機関車ですから窓を開けて顔についたススを洗い落としたり、夜行列車の朝の洗顔、鏡での身支度、さらには長距離移動での水分補給など活躍したようです。


そして赤帽は、軽トラックの引っ越し赤帽じゃありません。駅にいるポーターを示す赤帽です。当時の長距離移動は荷物も多く、列車の乗り換えや待合室まで荷物を運ぶなど赤帽の助けを借りたようです。


長万部駅の「かにめし」が100円と現在の1/10以下の値段です。列車の運賃など当時の貨幣価値も気になりますが、貨幣価値はあとで確認する事にして、もう一つ時刻表で確認できるのが、当時の羽田空港ー千歳空港間の飛行機の便数と運賃です。


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羽田空港ー千歳空港間は、一日3往復だった事が分かるのと、片道航空運賃(11700円)です。


当然、千歳空港に到着してから札幌に出て、さらに札幌から帯広までの列車移動があるので、航空機を使って帯広に行く事を考えると、先の列車の運賃の急行料金など合計(2580円)と比べると5倍以上の金額差があります。


当時の飛行機の輸送力ですが、あとで調べた「昭和31年4月1日の北海道新聞」に参考になる記事が載ってました。


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「日航、15日に臨時便、日航では旅客ふくそうのため、4月15日1日だけつぎの臨時便を増発する。使用機はダグラス6B型60人乗り。羽田発(07:20)-千歳着(10:00)、千歳発(10:50)-羽田着(13:20)。なお、千歳発便の札幌産業会館前バス発車時刻(09:10)」


この記事から、飛行機がダグラス6B型60人乗りです。(ダグラス6B型写真はJALのHPより)


また、時刻表には千歳線の千歳駅もありますが、千歳空港ー札幌駅の移動には既にバスが運行されている事も新聞記事から分かりました。バスの乗車の「札幌産業会館前」位置は調べたのですが分かりません。


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上野駅-帯広駅まで列車の所要時間は、車中泊を含めて(2泊3日)、所要時間(33時間)でしたが、時間短縮が期待できる飛行機を使うと・・・


羽田発(15:10)-千歳着(18:10)、千歳空港からバスまたは列車で札幌駅に移動して、札幌駅から函館発の急行まりも札幌(着20:01-発20:09)に乗ること可能です。上野からの列車移動より車中泊1泊の1日早く帯広に着くことが可能だと分かりました。


時刻表を眺めていると気分はタイムスリップして時間の経過も忘れるのですが、最後に、国鉄以外で鉄道の名前は知ってても乗れずに消えた鉄道が多数・・・


我がまち江別の函館本線(野幌駅)から新夕張を結んでいた夕張鉄道の時刻表も載ってます。昭和49年(1974年)旅客営業を廃止。写真は北海鋼機前駅跡の夕張鉄道線の説明看板と、腕木式(うでぎしき)場内信号機。


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そして約10年間住んでいた縁のある芦別からは、三井芦別鉄道の時刻表です。


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石炭を運んでいる姿は見ていますが、旅客列車は昭和47年(1972年)に廃止されたので見てませんが、「さよなら記念乗車券」は手元にあります。


次に、時刻表で分かった列車の運賃合計(2580円)や、当時の片道航空運賃(11700円)が、当時の貨幣価値としてどれ位なのか、また、庶民の間隔から飛行機の利用は移動の選択してどうだったかを考えてみたのですが、話が長くなったので、貨幣価値に関しては続くとします。


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